(2014.12.22)
「作家の計画・作家の想い」のコーナーに、今年も書かせていただきました。
――が、毎回、予定や計画だけではページが埋まらず、ページの趣旨から外れた雑談めいたことを書き加えて、何とか字数をクリアしています。
はたして来年は、書くべき予定があるのか?
それとも、相も変わらず雑談がメインになるのか?
言うまでもなく、「そんなもん、お前の努力しだいや」という結論になるわけですが。
(2014.11.19)
-近刊案内(2015年1月以降の刊行予定分)より-
◇『北半球の南十字星』沢村浩輔(ミステリ・フロンティア/四六判仮フランス装)
〈王国〉周辺を荒らし回る海賊連合〈南十字星〉の首魁リスターが、王室海軍提督バ
ロウズを誘拐した。その報を受けて海軍諜報部は、剣の名手である大尉アラン・クリ
フォードにある密命を下す。アランは剣の腕と運だけを頼みに、元名優で大酒飲みの
ソープとともに〈南十字星〉の様子を探る。だが、彼を待ち受けていたのは、海賊た
ちとの激闘――ではなく、孤島で連続する首切り殺人だった! スティーヴンスン
『宝島』に胸を躍らせたすべての大人に贈る、愛すべき海洋冒険ミステリ。
こんな感じの物語です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
(2014.11.07)
三年ぶりに出席したのですが、変わらず盛況でした。
痛感したのは、自分がこういう華やかな席での振る舞い方が下手だということで、前回からまったく進歩していない気がします。
(対して、受賞したお二人は、壇上でのスピーチも落ち着いていて感心するばかりです)
おめでたい場なのに、一人ぎこちない空気を醸しているのは申し訳ないので、緊張を緩めるべく、ビールを飲み、ウィスキーの水割りを飲み、麦焼酎を飲み、芋焼酎を飲み、ようやく少しリラックスしてきたかな、というところでパーティはお開きになりました。
それでも担当編集者が何人かの方を紹介して下さり、何人もの方が声をかけて下さったので、辛うじて社交らしきことができました。ありがとうございます。
話は変わりますが、授賞式が行われた飯田橋のホテル〈メトロポリタン エドモンド〉のすぐ近くに神楽坂が存在する事実に、今回初めて気がつきました。
まさか両者がこれほどの至近距離に位置していたとは! 東京の地理はなんと不思議なのかと驚く他はありません。
せっかくなので、授賞式会場に行く途中で、ちょっと寄り道して神楽坂を歩いてみました。あまり時間がなかったので、写真で見たあの印象的な路地は見つけられませんでしたが、雰囲気は味わえたので良しとします。
(2014.10.19)
水色の帯がこれまでのバージョン。
オレンジ色の帯が新しいバージョンです。
口コミで手に取って頂けるのは(帯の記載より勝手に推測)、本当にうれしい限りです。
ブルー版、オレンジ版ともに、これからも、よろしくお願いいたします。
(2014.10.04)
以前から、レンタルサーバーに、「ファビコンが見つかりません」という内容のエラー記録が頻出するのが気になっていました。
どうやらこのエラーは放っておいても問題ないらしいのですが、このままでは、今後も続々とエラー記録が積み上がっていくことになります。
それじゃひとつ、ファビコンを作ってみるか、と思い立ちました。
とはいえ、私にはおよそデザインのセンスというものがないので、困難なミッションになるであろうことは容易に想像できます。
さて、どうしたものか。
調べてみると、ネット上には、おまかせでファビコンを作ってくれるソフトがあるようです。
だったら素直にそれらのツールを使えばいいのですが、自分でやってみたかったんですね。我ながら暇な男です。
前述のように、まったく絵心を持ち合わせていないので、絵やイラストを描いてファビコン化することは技術的に困難です。ならばシンプルで記号的なデザインにするしか選択の余地はありません。
HPのタイトルにちなんで、迷宮をモチーフにしたデザインにしようと思いつくのに、数日かかりました。(いったい、何をやっているんだか……)
そして、さらに時間を費やしてファビコン制作に没頭。
なんとか完成することができました。
できあがった迷宮ファビコンを眺めてみての感想は、
「とてつもなくビミョーだ」
「すこぶる好意的に評価すれば、可もなく不可もなし、というところか」
「なんだかスパゲッティみたい(それも不味そうな)」
というもので、総論としては、
「……まあ、16×16ドットの小さなスペースでは、私の壮大なイメージを具象化するには狭すぎるのだな(これを負け惜しみという)」
――でした。
当然の帰結として、このファビコンは没です。
(そうだ、いっそのこと、没マークにしてやろうか、と思いかけたのですが、それはさすがに縁起が悪すぎます)
というわけで、プロジェクトは暗礁に乗り上げました。
ですがこれは、決して「敗退」や「挫折」ではありません。あくまでも「一時的な延期」です。
私はまだ諦めていません。いつの日か、必ずこの手で納得のいくファビコンを作ってみせます。
高らかに継続の意欲を表明しつつ、この稿を終わります。
(2014.09.25)
もう夏も終わりですが、先日頂いた怪奇小説を読みながら、つまらないことを考えました。
ひとことで言えば、「幽霊っているの?」という、ありがちな疑問です。
私は「たぶん、いないんじゃないか」と思っています。
これまでの人生で、幽霊に出会った経験はありません。
(恐がりの私にとっては有り難いことに)きっと霊感がないのでしょう。
というわけで、実体験ではなく、仄聞する情報だけで考える羽目になります。
先に結論を言えば、「いるのか、いないのか」という二択の設問には、あまり興味が湧きません。私自身は「どっちでも構わない」と思っています。
霊感がない人間の気楽さで、「いないより、いた方が趣があっていいじゃないか」とすら思っていたりします。
見えないから、そんな呑気なことが言えるわけです。
「幽霊なんて、いる筈がないでしょう」と断言すると話が終わってしまうので、「いる」と仮定して進めます。
幽霊が出現したときの人間側の反応は、大雑把に分けると二通りあります。
自分だけに見えるか、それとも、その場にいる全員が目撃するか、です。
古典的な怪談では、前者のパターンが多いようです。
私が幾分のリアリティを感じるのはこちらです。
怪談そのものにではなく、その怪談をつくったり、書き記した人に対して、明晰で現実的な考えの持ち主だったんだろうな、という感想を抱きます。
居合わせた他の人には見えず、一人だけに見えるという設定なら、幽霊=幻覚という解釈が可能だからです。
もちろん、それは幻覚ではなく、本当に幽霊なのかもしれません。
ですが、合理的な解釈の余地を残しておけば、幽霊を信じていない人にも全否定されずに済みます。
封建時代であれば、為政者に「これは民衆を惑わす与太話だ。けしからん」と断じられたら、発禁処分になる可能性があるので、その方面に対する配慮も兼ねていたのかもしれません。
あるいは、もっと単純に、鬼や天狗のような生命体(?)は誰の目にも見えるが、幽霊のような非生命体(?)はその限りにあらず、というのが当時の常識だったのかもしれません。
一方の後者については、お気楽者の私でさえ、色々と言いたいことが出てきます。
この「誰でも見える幽霊」の増加は、写真が普及して、心霊写真なるものが登場したことと軌を一にしているというのが、私がいま思いついた想像です。
そもそも写真に幽霊が写り込む、ということの光学的な理屈がよく分からないのですが、私の不満はそこではありません。
不満なのは、写真の中に出現する幽霊たちが、なぜ揃いも揃って陰々滅々としたマイナス思考の体現者ばかりなのか、という点です。
どうして誰も彼も、生者に対する嫌がらせしかしないのか。
このキャラクターの画一性はどういうことか、と思うわけです。
一般論によると、幽霊とは、私たちの魂が、肉体が滅びた後も存在しているものだそうです。
だとすれば、幽霊は生前のパーソナリティをそっくり引き継いでいる筈です。
生きていたときに陽気だった人、うるさいくらいにお喋り好きな人、お人好しでいつも微笑んでいた人は、死んだ今でも、陽気で、お喋り好きで、にこにこしていると思うのですが、「暇だったから来たよ」とふらりと立ち寄って炬燵に入り、こちらの都合もお構いなく、二時間喋り倒して、すっきりした顔で帰っていく幽霊の話は寡聞にして知りません。
善人たちはどこへ消えてしまったのか。
遊園地のお化け屋敷や、テレビの心霊写真特集や、雑誌の「恐怖の心霊スポット体験談」に登場する幽霊は、なるほど怖い霊でなければ格好がつきませんが、それは生きている我々の都合です。
私たちの要望に沿った種類の幽霊しか現れないのは、やはり不可解です。
生者が定めた様式美に従う、恐ろしいけれど、ある意味で行儀の良い幽霊ばかりじゃなく、血塗られた伝説が残る廃墟で、夜ごと、大音量でカラオケ大会を繰り広げるような、不謹慎で空気の読めない幽霊がいれば、私も渋々信じようかという気になるのですが。
(2014.09.11)
東京創元社さんから頂きました。
『怪奇文学大山脈Ⅱ』 |
『悪意の糸』 |
『怪奇文学大山脈Ⅱ』に「釣りの話」という作品が収録されているH・R・ウェイクフィールドの『ゴースト・ハント』(創元推理文庫)という短編集を、以前読んだことがあります。
そのときの不気味な読後感は、今でもよく憶えています。
短編集の解説によると、ウェイクフィールドは幽霊の存在を信じていたそうです。
だとすれば、『ゴースト・ハント』の、いやーな怖さは、作者が幽霊を信じているからこそ出せたのかもしれません。
怪奇小説を書いた経験がない私には想像するしかありませんが、ちょっと興味深いです。
「なに? 幽霊を信じている奴が書いたホラー小説があるのか。面白そうじゃないか」
と思われた剛毅な方は、機会があれば読んでみて下さい。中々の恐怖です。
(2014.08.25)
秋梨惟喬さんから頂きました。
8月21日に発売になったばかりの新刊です。
(2014.08.23)
東京創元社より、『夜の床屋』第四刷の連絡がありました!
お読みになった方はご承知の通り、かなりひねくれた展開の短編集なので、発売前は、「頼むから、売れ残らないでくれ」と本気で願っていました。
そのことを思うと、望外な成り行きです。
皆様に、あらためてお礼を申し上げます。
それに較べて、このHPは――。
〈抜け道だらけの迷宮〉を始めて、2ヶ月半が経ちました。
『夜の床屋』のPRを兼ねてHPをつくったわけですが……。
いや、もう全然、役に立っていません(苦笑)。
作者本人が制作、管理しているので、一応、沢村浩輔の公式サイト、ということになります。
にもかかわらず、作者名で検索しても、なかなか表示されません。
意地になって探すと、ありました。18ページ目に……。
ほとんど訪問者がいないのも納得の結果です。
世界広しといえども、ここまで見つけにくい小説家の公式サイトは他にあるまい、と言いたくなる迷宮っぷりです。
とはいえ、愚痴っていても始まらないので、何とか上がっていかなければなりません……。
現時点では、自分のHPに対するイメージは「絶海の孤島」ですね。
どの航路からも遠く離れ、海図にさえ載っていない、大海原の小さな島。
その砂浜に佇み、船が通りかかるのを待ち続ける日々です。
(2014.08.16)
1(問題篇)
去年の春から秋にかけて、久しぶり(四半世紀ぶり)にコンピューター・ゲームに夢中になりました。
〈スカイリム〉という、オープンワールドRPGです。
オープンワールドRPGとは、どんなゲームなのか?
遊び方の制約が少なく、自由度の高い世界が用意されているロールプレイングゲーム、という解釈で(たぶん)間違っていないと思います。
スカイリムは自由度が相当に高く、極端に言えば、メインクエストをほったらかしにしても、楽しく遊べます。
英雄になることも、世界を敵に回す大悪党になることも、俗世との交わりを絶って漂泊の詩人として生きることも(それが楽しいかどうかは別にして)、本人の望みのままです。
何をしてもいいわけです。
たとえば、頭の中で架空のクエストを創り、それを追いかけるという行為に没頭することだって可能です……。
と、いうことで――。
私の脳内クエストは、題して「まだ見えぬ暁――この世界に存在する本の謎」です。
★
敵側のスパイに間違えられ、危うく処刑されそうになったときに、突如ドラゴンが来襲して処刑場が大混乱に陥り、その隙をついて命からがら逃げ出す――という場面からゲームは始まります。
冒険を始めてほどなく、スカイリムには、たくさんの書物が存在することに気づきます。
すべての本は手に取ることができ、ページをめくると、本当に文章が書かれています。
それらを読んでいくうちに、ベールに包まれていたスカイリムの世界観が少しずつ明らかになっていきます。
本の中には、読むだけでプレイヤーの能力が上昇する、ありがたい書物が混ざっているので、世界の諸々に興味などなくても、とりあえず見つけた本を読むことになります。
そうして冒険を続けるうちに、私の脳裏にかすかな疑念が生まれました。
スカイリムには、なんと多くの書物が存在するのだろう!
だけど、みんな、この本をいったいどこで手に入れたのか?
誰が本を作り、そして売っているのだろうか?
★
人を襲うのが三度の飯より好きな山賊たちでさえ、ご覧のように本を所有しています。
晴耕雨読という暮らし方がありますが、彼らの場合、「晴殺雨読」とでもいうべきライフスタイルのようです。
2(解決篇)
これだけ多くの書物が出回っているのだから、スカイリムでは本の出版、流通、販売がビジネスとして成り立っているはずである。
だが、街にも村にも、一軒の書店さえ見当たらない。
これはどうしたわけなのか?
私は手がかりを求めて世界中を歩き回った。
そして、ついに手がかりを得た。
砦、遺跡、洞窟――至る所に残されている、「焼けた本」の存在である。
これらの本は、過去に大量の本が燃やされた事実を示している。
そこから導かれる結論はひとつ。
かつてスカイリムでは、大がかりな「焚書」が行われたのだ。
その際、本作りに携わっている人たちにも、迫害の手が及んだであろうことは想像に難くない。
身の危険を感じた出版人は、地下に潜ることで難を逃れた。
それ以来、彼らの行方は杳として知れない。
そして今もどこかで彼らは本を作り、秘密のルートを通じて、スカイリム全域に書物を供給し続けている……。
以上が、なぜこれほど多くの書物がありながら、どこにも書店が存在しないのか、という謎についての、私の見解です。
★
しかし、まだ疑問は残っている。
焚書が行われたのは、相当に昔の出来事のはずだ。
それなのに、なぜ彼らは未だに姿を隠したままなのだろうか……。
頭を悩ませていると、興味を惹く情報を耳にした。
雪深い北の街、ウィンドヘルムの宿屋に、小説家が滞在しているというのだ。
小説家ならば、秘密の出版シンジケート(?)について何かを知っているに違いない。
私は小説家に会いに行くことにした。
もし無事に小説家に会うことができ、この謎の解明につながる話を聞くことに成功した暁には、続報をお届けするつもりである。
それまでは、諸君、しばしのお別れだ。
(註:この一文には、若干の空想、意図的な思い込み、つい筆が滑った箇所が含まれています)
(2014.07.30)
作者が感激でむせび泣いており言葉にならないので、私がなりかわりましてお礼を申し上げます(主人公の佐倉より)。
その通知を眺めていて気がついたのですが、前回は「増刷」と書きましたが、「重版」だったようです(ハガキを見直すとそう書いてありました)。
言い訳をすれば、これまで「増刷」とか「重版」などという心弾む単語には縁がなく、
「どーせ俺には関係がないことだからさ」
「ま、どっちだって似たようなもんだろ」
という、投げやりな心でもって、一緒くたに考えていました。
今はそのことを深く反省し、これを書き終えたら、両者の違いをこっそり勉強して、前々から知っていたかのごとく振る舞ってやろうと企んでいます。
(2014.07.16)
素直に嬉しいです。
本を手に取って下さったすべての方に感謝します。
ありがとうございました。
(2014.07.10)
タイトルは、本好きな人を指す表現ではなくて、本を読んでいると、時折ページをつつつと横切ったりする、あの小さな生命体のことです。
はっきりと好き嫌いが分かれる話題なので、書くかどうか、少し迷いましたが、梅雨の頃になると、よく見かけるような気がします。であれば、今が書くべき時(?)なのでしょう。
とはいえ、私は彼らのことを殆ど知りません。せいぜい、
1.名前はチャタテムシというらしい。
2.体長は1mmほど。色は淡いベージュ(個体により、若干の濃淡差あり)。
3.たぶん人畜無害。本に対してもそれほど害はない?
4.危険を察知すると、まれに瞬間移動かと見紛う速度で後ろ向きに移動する。
5.日光が嫌い?
くらいでしょうか。5は〈本の虫干し〉からの連想。3は私の願望です。
駆除に関しては、最初から諦めています。たぶん一生の付き合いになるのでしょう。
……と思いつつも、本のページに彼らの姿を見つけると、やはり少しばかり気が滅入ります。
そこで興味深いのが4です。
チャタテムシが進化の過程で4のような能力を獲得したのは、彼らに天敵がいるためではないか? そう閃いたわけです。
とすれば、その天敵をつかって、チャタテムシを追い払うことができるかもしれません。
問題は、その天敵は何者か、ということです。
そういえば、私の部屋には時折ハエとりグモが出没します。ここにはクモのエサなどないのになぜだろう、と不思議に思っていたのですが、もしかすると彼らがチャタテムシの天敵なのでは……?
私は、さっそく自説の正しさを証明すべく、インターネットで調べてみました。
「…………」
私の想像は完全に外れていました。確かにチャタテムシには天敵がいるようです。彼らを捕食する生物が存在するのです。
ですが、その名前をここに書くことはしません。読んだ人を不快にさせるからです。
私も見なかったことにします。敵の敵は味方……ではなかった。我々の生態系は、その諺が通用しない厳しい世界でした。
私としても甚だ不本意なレポートをこれで終わります。
(2014.06.30)
装画は、げみさん。装幀は、鈴木久美さん。解説は、千街晶之さんが書いて下さいました。
ご覧の通り、とても素敵な本になりました(本づくりに関しては、私は何もしていませんが……)。
あとは、読者の方が楽しんで下さることを願うばかりです。
(2014.06.21)
『夜の床屋』の電子書籍が販売されることになりました。
通常の書籍版共々、よろしくお願いします。
これも何かの縁(?)だと思うことにして、電子書籍リーダーを購入しました。
今まで使わなかったのは、単なる〈食わず嫌い〉です。
紙の本に対して(もう置き場所がない! という以外の)不満がなかったからでもあります。
まだ手元に届いていませんが、使ってみたら、やっぱり紙の本がいいなと再確認することになるのか、それとも予想以上に使い心地が良くて気に入ってしまうのか、どちらであっても、ちょっと楽しみです。
(2014.06.13)
東京創元社の近刊案内に、ディクスン・カーの『テニスコートの殺人(新訳版)』が載っているのを発見して、ささやかに喜んでいます。
なぜなら、この作品は、私にとってカーのベスト3に入る作品だからです。
ちなみに他のふたつは、『魔女の隠れ家』と『爬虫類館の殺人』です。
いま気がつきましたが、我ながら一貫性のあるチョイスでした。
気がついたことを、そのまま書いてしまうと、『テニスコートの殺人』を読んでお気に召した方がいらしたら、『魔女』と『爬虫類館』も好みである可能性が大です。
えっ? なぜかって?
それはですね……。
もちろん謎やトリックなど、ミステリとしての趣向は三作とも見事に違っています。
ですが何と言いますか、小説としての味わいが似ているんです。
もっと具体的に書けば、ロマンスの香りみたいなところが……。
うわ、いい歳をしてロマンスとか言ってしまった。
照れくさいのでこの辺りで止めておきます。
(2014.06.07)
6月28日に発売される『夜の床屋』の解説に書かれているので、遠からず出ると思いますが、第二作は長編の海賊ものです。
デビュー作とは時代も舞台も大きく異なりますが、似ている部分もあって、それは〈ホームズ〉がいない、という点です。
その代わり〈ワトスン〉は二人います。
言うまでもなく、彼らの元々のキャラクタ属性は〈ワトスン役〉なので、もし作中に名探偵がいれば、素直に名探偵に事件の解決を任せたはずです。
しかし周囲を見渡しても、それらしき人物はどこにもいません。
「参ったな。事件が起こったというのに、〈ホームズ〉の姿が見えない」
「それどころか、〈レストレイド警部〉さえいないようだぜ」
「……どうする?」
「どうするって……。俺たちが何とかするより仕方あるまい」
「……ま、そうだよな。やれやれ、難儀な話だ」
口ではそう言いつつも、よく見ればさほど困った様子もありません。
二人ともワトスン役のくせに、少しばかり自惚れが強く、〈面白がり〉でもあるからです。
もしかすると〈ホームズ〉がいない状況を、内心では喜んでいるのかもしれません……。
――というわけで、ワトスン役の二人が渋々(ときには得意げに)探偵役を演じる海賊物語『北半球の南十字星(仮題)』、良かったら読んでみて下さい。
(2014.06.07)
ホームページを開設しました。
うーむ。情報が少ない……。