(2015.12.21)
18日発売の、別冊文藝春秋2016年1月号に、『週末探偵 月と帽子とひったくり』が載っています。
最初に主人公たちのざっくりした設定だけを決めて、後は毎回、思いつくままに書いているのですが、今回はストレートに犯罪が絡んだ話になりました。
私個人としては、作中に犯罪があってもなくても、どちらでも構いません。
ただ、なるべく刑事を登場させずに書きたいなあ、と考えています。
それなら「日常の謎ミステリ」という手もあるのですが、せっかく探偵事務所と二人の探偵を用意したので、日常の謎とは違うものをやりたいと思ったわけです。
警察が捜査を仕切る犯罪と、日常の謎のあいだをウロウロしながら、最後まで書くことができたらいいのですが。
それから今更ではありますが、連載を始めるときに、文藝春秋社のサイトに紹介文を書いたことを思い出しました。
(2015.11.29)
高井忍さんから頂きました。
私は無邪気に楽しみながら読みましたが、これを書くのはものすごく大変だろうな(私には絶対に無理だ……)。
オビにある「この新説が、将来の真説となるかもしれません」は、歴史雑誌『ジパング・ナビ!』が読者から日本史の新説を募集する企画のキャッチフレーズ。
……もしかするとジパング・ナビ!編集部は、そうして集めた古代から近代までの真相(!)を並べた偽日本史の本を出版するつもりなのかもしれない。
冒頭のエピグラフと、あとがき。作者の歴史ミステリに対する見解が興味深かったです。
(2015.10.20)
本日発売の別冊文藝春秋11月号に、週末探偵シリーズの第二話が掲載されています。
どうぞよろしくお願いいたします。
以下は雑感など――。
二十七歳にして探偵事務所を始めることになった、瀧川一紀と湯野原海。
開業から二ヶ月が経っても、相変わらず閑古鳥が鳴きまくっているにもかかわらず、本人たちはさほど気にする様子がありません。
その根拠のない自信がどこから来ているのか知りませんが、「兼業探偵という設定にしておいて、本当に良かった」と作者は胸をなで下ろしています。
そうでなければ、商売下手な二人のことだから、いずれ経済的に行き詰まってしまう可能性が大です。
そしてもうひとつ、成り行きとはいえ、事務所を維持するための固定費を、ほぼゼロに抑えることができたのもラッキーでした。
ともあれ、これで彼らもしばらくは探偵を続けることができそうです。
しかし油断は禁物です。
最後に、作者から二人へアドバイスを贈るとすれば、「これからも探偵を心置きなく続けるために、本業をしっかりと頑張りたまえ」ということでしょうか……。
(2015.08.18)
このたび短編の連載を始めることになりました。
8月17日発売の「別冊文藝春秋 9月号」に第一話が載っています。
タイトルは「週末探偵 最初の事件」です。
平日は会社員で週末だけ探偵、という男たちが遭遇する、ほんのり不思議な話を書いていく予定です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
(2015.07.06)
高井忍さんから頂きました。
柳生十兵衛&毛利玄達シリーズの二作目です。
柳生十兵衛の容姿については諸説あるようですが、実際はどんな人だったんでしょうか。
本作のカバーイラストのように、なかなかの男っぷりだったのか、それとも……?
(2015.06.23)
編者は、中村融さん
カバーイラストは、丹地陽子さん
カバーデザインは、東京創元社装幀室
先月末に頂いていたのを、ようやく読み終えました。
(すみません。読むのも書くのも、遅いもので……)
「奇妙な味」テーマの短編集で、収録作品は実にヴァラエティに富んでいます。
読んだ者同士でお気に入りを挙げると、見事にばらけるタイプの作品集です。
個人的な好みは、「お告げ」、「ボルジアの手」。
いちばん驚いたのは、「M街七番地の出来事」。
ジョン・スタインベックの作品ですが、まさかノーベル賞作家が、こんなぶっ飛んだものを書いているとは!
いや、もしかすると、ちょっと文学に詳しい人なら、普通に知っていることなのかもしれませんが、恥ずかしながら私は知りませんでした……。
世の中って広いなあ。そして私の知識は何て断片的なんだろう。
(2015.05.09)
最近、固有名詞がすぐに出てこないことが多くなりました。
そのたびに、歳のせいかなあ、と思うのですが、考えてみれば、子供の頃からいたって忘れっぽくはありました。
しかし十代の頃の「忘却現象」は、時と場所が限定されていた気がします。
若いときは、テストの最中に問題用紙を睨んでいるときのみ、この現象が発生していました。
前の晩、あれほど何度も繰り返して暗記したはずの、英単語や数学の公式や物理の法則が、どういう理由かは分かりませんが、さっぱり思い出せないのです。
一夜漬けとはいえ、必死に詰め込んだ記憶は、いったいどこに消えてしまったのでしょうか。
うーむ、人の記憶のメカニズムは何と奥深いものかと、その不思議さに思いを馳せ……ている余裕は、テスト中なのでありませんでしたが。
ところが、テストが終わって友達と喋っているときには、言いたいことがすらすらと、どうでもいいような細かいことも含めて、滑らかに出てくるのです。
これはどういうわけなのか。
テスト開始の合図を聞いた瞬間、勉強にまつわる記憶が忘却されるよう、何者かに暗示をかけられているのではないかとさえ、冗談半分に(つまり半ば本気で)疑ったくらいです。
もう少し真面目に考えれば、私の脳みそは、残しておくべき記憶と捨ててもいい記憶の判断を、ちょくちょく間違えてしまう傾向があるのでしょう。
いま話題の断捨離の本を読んで、きちんとした仕分けのルールを、このぼんやりした脳みそに教えてやるのもいいかもしれません。
だけど、そうやって有用な知識を仕入れても、またうっかり消去してしまうんだろうな。
「えっ。あれ要らないと思って消しちゃったよ。なんだよ、要るならそう言ってくれればいいのに。しようがないなあ」
……我が脳みそよ。君がもう少ししっかりしてくれないと、私が困るのだ。
(2015.04.16)
4月15日に発売された実業之日本社「月刊ジェイ・ノベル5月号」の〈私の○○ベスト3〉というコラムに寄稿しました。
タイトルは、「私が好きな国のかたちベスト3」です。
太古より現在に至るまで、この世にいくつの国が興り、消えていったのかは知りませんが、ひとつとして同じ形をした国は存在しない(当たり前ですが)ことが面白くて、興味深い形だなと思う国を挙げてみました。
原稿を編集部に送った後で、私が選んだ国は、どれも海岸線が輪郭の大半を占めていることに気づき、周囲を海に囲まれている日本で育ったので、そういう好みになったのかもしれない、と想像しています。もし内陸の国に生まれていたら、好みも違っていたのでしょうか。
(2015.04.05)
4月6日発売の講談社「メフィスト 2015 VOL.1」に、「文系人間が思うロボットの不思議」という日常の謎エッセイを書きました。
実は、書きながら胸中に、「もしかすると私が書いているのは、エッセイではなく与太話ではないのか……」という微かな疑念が湧き上がっていたのですが、編集部から疑義を呈されることもなく、無事に掲載されたので、私の思い過ごしだったのでしょう。
ともあれ、ほっとしております。
(2015.02.16)
評論家の千街晶之さんが、週刊文春に連載されている〈ミステリーレビュー〉欄で、『北半球の南十字星』を取り上げて下さいました。
千街さんには、『夜の床屋』の巻末解説を引き受けていただき、千街晶之氏が推しているから読んだ、という方もたくさんいらっしゃるようです。感謝の他はありません。
あの『原作と映像の交叉光線(クロスライト)』の著者からエールを送られたことを光栄に思います。
朝日新聞2月15日付の読書欄で『夜の床屋』を取り上げていただきました。
家族によると、新聞に載ってたよ、とわざわざ電話を下さった方もいたそうで、反響の大きさに驚いています。
紹介文を読みながら、この本が売れたのは、多くの方が応援して下さったからなのだということをあらためて感じました。
本作に関して言えば、作者の貢献度なんてせいぜい半分くらいじゃないか、と思います。
この半年間、書店へ出かけた際に、『夜の床屋』を大きく並べていただいているのを、感激しつつ感謝しつつも、そっと横目で見ながら足早に(どうして? 堂々と立ち止まって眺めればいいじゃないか? しかし、なぜかそれが実に難しい)通り過ぎたりしておりました。そんなこんなで、これまで書店様をはじめ、お世話になった方々にお礼を述べる機会を逸したまま、今日まで来ました。
拙作を読んで下さった皆様、素敵な本に仕上げて下さった皆様、お力添えをいただいた皆様に、心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
(2015.02.08)
別冊文藝春秋3月号の「夜長にはこれ!」というコラムに寄稿しました。
時々やっている、ちょっとした趣味のようなものについて書いたのですが、そのことを書く日が来るとは思いませんでした。
我ながら子供っぽいな、と思います。
(2015.01.27)
先日、東京創元社さんが『北半球の南十字星』サイン本の販売を企画して下さいました。
申し込んで下さった皆様には、厚くお礼を申し上げます。
一冊一冊、心を込めてサインをしました。
……って、なぜ、そんな当たり前のことをわざわざ書くのかと言いますと。
……いくら気合いを入れても、子供のような字になってしまうからです。
まるで、ぱっと見には、いい加減に書き殴った風の。
しかし、実際は、本の上に覆い被さるような姿勢で、気持ちを集中させ、息も止めて慎重な筆使いを心がけました。
……ええ。それで、あの字です。
胸の中に渦巻いている感謝の気持ちを、ちっともアウトプットできないという、このやるせなさ。
生まれ変わったら、綺麗な字を書ける人間になりたいです。
最後になりましたが、私がこの世でもっとも納得しがたい格言を紹介して、この稿を終わります。
「字は、人の心を映す鏡である」
そんなわけがあるかーーっ!(心からの叫び)
(2015.01.02)
装画は、平沢下戸さん。
装幀は、岩郷重力+WONDER WORKZ。
素敵な表紙をありがとうございます。
本作は〈海軍VS海賊〉を軸にした物語ですが、もし何かの事情で、この戦闘に参加する羽目になったとしたら、自分は海軍と海賊のどちらを選ぶだろうか、と考えたことがあります。
(集中力が落ちてくると、この種の雑念がどこからか湧いてきます。以下は脳内問答です)
――いま、目の前に海賊と海軍士官が腕組みをして立ち、こちらを値踏みするように見つめています。
まず口を開いたのは巨漢の海賊です。
「お前は、剣で人を斬った経験があるのか?」
「いえ。ナイフで自分の指を切ったことならありますが」
海賊が呆れたように黙り、今度は海軍士官が問います。
「じゃあ、銃を撃ったことは?」
「まさか! だって引き金を引いたら弾が飛び出すんですよ。危ないじゃないですか」
その瞬間、海賊と士官が声を揃えて、
「危なくなかったら、武器じゃねえだろう」
「な、なるほど……」
ここで我に返ったのですが、なぜか、このフレーズが気に入ってしまい、しばらくのあいだ、キーボードを打ちながら、
「危なくなければ、武器じゃない」
と何度も呟いていました。(単に疲れていたのかもしれません)
『北半球の南十字星』は1月29日頃の発売予定です。
(2015.01.02)
明けましておめでとうございます。
今年も「抜け道だらけの迷宮」をよろしくお願いします。